季語や五・七・五の約束事にとらわれず、感じたままを自由に表現する自由律俳句の代表的な俳人として、種田山頭火(たねだ・さんとうか)と並び称される放哉。 流れ漂うように生きた「漂泊の俳人」とも呼ばれています。 最初に聞いていただいた「春の山」の句は、大正15年、41歳でこの世を旅立った放哉が、晩年を過ごした瀬戸内海の小豆島で詠んだ、辞世の句といわれています。 そこは、東京帝国大学を卒業し、いわゆるエリート人生を送っていた放哉が、仕事も家族も捨てて、放浪の末にたどり着いた安住の地。 のちに、尾崎放哉の代表作といわれる句の多くが、小豆島で暮らした8カ月足らずの間に生まれています。 「咳をしても一人」「足のうら洗へば白くなる」「入れものが無い両手で受ける」 放哉の終の住処となった南郷庵(みなんごあん)は、建物が復元され『小豆島尾崎放哉記念館』として一般に公開されています。 漂泊の俳人が遺してくれた土台の上に、今を生きる人々は、どんな言葉の花を咲かせることができるのか……。 季語にも五・七・五にもとらわれない、自由律俳句の世界に、皆さんも心を遊ばせてみませんか。